岩渕祐一 鎌倉日記
第五回「銭湯の根っこ」
慣れない石鹸で顔を洗わされ目にしみた。湯が熱く早く出たかった。帰りにはコーヒー牛乳を飲みたかったが、「うちに帰れば粉ジュースがあるぞ」の一言で水を飲んで帰路についた。
これが祖父と一度だけ銭湯へ行った時の思い出。
時々、市内最後の唐破風付銭湯をスケッチにゆく「なつかしさ」とはこの僕の昭和体験だけだろうか。それもあるだろう。が、それだけではない気がする。
以前、個展でお会いした町田忍氏(庶民文化研究家)の話では、銭湯とは戦前、宮大工が寺社建築を摸して建て、その唐破風の派手さが流行したのだとか。
また氏の本には禊や寺社が湯療をおこなっていたともある。こんな歴史を持った銭湯に僕は語りかけられているのではないか。積み重なった歴史は木で言えば根っこの部分だ。根っこは見えない。でもその見えない根っこから養分を吸い上げなければ木は育だたない。土中の根から吸い上げられ歴史がフッと夢のように唐破風となって現れる。流行の中で意識されないからこそ現れてくる歴史の、建物の根っこ。今、目にしている古びた瓦屋根や木塀だけで銭湯はそこにあるのではない。そんな積み重なった時間の景色もあるに違いない。
では、僕はどこまでその根っこを表現できるだろう。では僕はどこまで自分の根っこを育てられるだろう。今日は庭でメジロ達が忙しそうだ。
平成二十二年三月一日
扇ガ谷アトリエにて
