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第三回「空地には」

 今までごく自然のように在ることで、その存在を意識できなくなっている景色が、その不在を告げられたとたん、その色彩を強くするという経験は、この頃増えた。僕のもっぱらの遊び場であった葛原が岡とその途中の化粧坂へむかう道すがらには、塗り残しや劣化によるかすれたチャコールグレイの木造平屋が、今でも多く残っている。
空地  この一画、かって某TV局の連載人気チャンバラ劇の忍者の首領(の俳優さん)が住んでいたことがあり、この首領、パンツ一枚で自分の車を洗っているのをよく見かけた。「なるほど首領という人は自分の車は自分で洗うのだ。」と子供心に感心した覚えは、更にない。が、やはり数日前、旧知の家が空地となってしまい、その不在の景色に驚かされた。
 目にするのは、オオバコ、母子草、ハルビジョン、タンポポなどなど。不在は野草の存在となり、都合のいい小鳥のえさ場となっている。何もないことが、僕に語りかけてくる。これはこれで心にしみ込んでくる。
 どうも景色というのは時間をかけて育つものらしい。存在から不在へと。小さな草の芽がもう腰までの野原へと。この空地であることが、僕に忘れられない「景色」を育ててくれたことにならないか。一時、空地であるからこそ草の花が咲くように、それは新しい景色が流れこむ余地となり、更に景色は育ってゆくのだろう。そう、美術は空地に育ってゆくに違いないのだ。
謹賀新年 皆様本年もよろしくお願いいたします
平成二十二年新春 扇ヶ谷アトリエにて